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Say yes to Life

〜人生のすべての出来事にyesで答える勇気〜

塩崎良子さん

株式会社TOKIMEKU JAPAN
代表 塩崎良子さん

― ご自身も乳がんを経験され、現在はがん患者さん向けギフトボックスやケア用品などの開発・販売を手がける㈱TOKIMEKU JAPAN代表の塩崎さんに、乳がんの診断から治療を経て、現在に至るまでのお話を伺いました。

私は、ファッションバイヤーとして世界中を飛び回った後、起業し、数々のセレクトショップやレンタルドレス店を経営してきました。しかし、34歳のときに乳がんの告知を受け、カラフルだった毎日が突然白黒になってしまいました。今回は、私自身も治療中によく閲覧していたBreCare Gardenからのインタビューということで、このサイトをご覧になっている乳がん患者さんを少しでも勇気づけられればと思っています。

― 塩崎さんは乳がんをご経験されたということですが、日々忙しくファッション業界でお仕事されていた中で、乳がんと気づかれたきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

小さい頃からお洒落が大好きで、センスと感性を生かした仕事がしたいと思い続けていました。そんな私が乳がんとわかったのは、小さいながらも六本木に自分のドレスのお店を持ち、お仕事でやっと自分の夢が叶ったと思った矢先のことでした。イタリア旅行中、どうしても映画「ローマの休日」のワンシーンのまねがしたくて、禁止されていたのにトレビの泉の前でアイスクリームを食べたんです。そしたら罰があたったのか、アイスを胸にこぼしてしまって、それを拭いている手に何かしこりのようなものが触れたのがきっかけです。

― ご自身で気づかれたのですね。恐かったですか。

やはり気になったので色々と調べました。帰国後に検査を受け、その結果乳がんと診断されました。まだ初期で手術すれば治る、と自分では思い込んでいました。でも、転移の可能性があるということで骨や脳への検査を行った際、「乳がんなのになぜ胸以外も調べるのか」と、全身に拡がるがんの恐さを実感しました。また、私は「トリプルネガティブ」乳がんだったのですが、その響きも「ネガティブ」なことが「トリプル」に重なっているというイメージで恐くてたまらなかったです。

― 乳がんの情報や治療法がさまざまある中で、治療方針はどのように決められましたか。

主治医の先生と話しながら、まず薬物治療を受けがんを小さくしてから手術することを決めました。その中で、私は「がんは恐い」という強い思いから、妊娠のことや胸を摘出する不安もありましたが「1%でも生存率が高いものを」という視点で治療や薬剤を選択していきました。

― 治療の感想は率直にいってどのようなものでしたでしょうか。

手術よりも薬物治療が大変でした。薬物治療の副作用で、口内炎や脱毛、歯がぐらつき、麻酔なしでの抜歯も経験しました。髪が抜けたときはそのショックよりも、朝起きて髪も眉毛もない、男か女かもわからない自分の顔が鏡に映ることで、がん患者であることを突きつけられることがつらかったです。また、白血球が下がって外出中に重ねてマスクをしなければならないことも無性に恐く感じました。それでも、ベリーショートのウィッグをかぶったり、コスプレをしてメイド喫茶に行ったりなど、外出も積極的にしながら、楽しめることを探しながら治療に取り組むようにしていました。

― 薬物治療はやはりつらいものでしたか。

一番つらかったのは副作用ではなく、治療が「効かなかった」ことです。乳がんは唯一自分で触れられるがんなので、一つ目の薬物療法ではしこりが小さくなっているのが実感でき、それがモチベーションにつながっていました。でも二つ目の薬物療法では、副作用は一つ目ほどではない一方で、しこりが大きくなるのが自分でわかるんです。「これが効かないってことは死んじゃうの?」というどうしようもない不安にかられて、この頃のことは今でもほとんど思い出せない程、落ち込んでいました。

― 手術後はどのように過ごされていましたか?

「手術を終え、治療は終わりました」と先生から言われた時、私は「1%でも生きる可能性が高まるならまだ頑張れる!」と思い、治療が終わった事に不安を感じました。自分は若年性乳がん、しかも「トリプルネガティブ」を発症したので、遺伝性乳がんだと思い込んでいました。ですからさらなる治療をもとめて、遺伝性乳がんに関する治験の存在を知り、実施している病院をいくつか探しました。でも結局は、遺伝子変異がないために治験は受けられず、放射線治療に挑戦することになりました。この相談にずっと親身にのってくださっていたのが、今の主治医の先生です。

― 主治医の先生との出会いが日本乳癌学会での「ファッションショー」にまでつながったのですね。

放射線治療が終わりかけの頃、診察の中でふと主治医の先生からファッションショーをやらないかと声をかけられました。初めは素直に引き受けられず、抵抗も悩みもありました。でも、同じがん患者の友人に相談したところ「女性ならいくつになっても本当はおしゃれしたいもの。みんな喜ぶから絶対にやったほうがいい」と勇気づけられ、開催に至りました。当日は、健康な方でも少しハードルが高いような派手なドレスが多かったのにもかかわらず、モデルになった患者の皆さんの一人ひとりが見事に着こなしていたことがとても印象深かったです。

― このファッションショーがもう一度塩崎さんをファッションの世界へ引き戻すきっかけとなったのですよね。

ずっと「女性をより美しくする仕事がしたい」と考えていたのですが、自分が乳がんになってからは「女性の美しさ」について考え直していました。その答えに、このファッションショーで辿り着きました。今は「女性の本当の美しさ」とは、外見だけではなく、与えられた環境の中で「その人らしく」生を全うすることだと思っています。このような中で、乳がんを経験した自分だからこそできるお仕事として、がん患者さんが「その人らしく」輝いて生きるためのお手伝いができるのではないかと考え、もう一度起業することを決意しました。

― そのビジネスが評価され、2016年のソーシャルビジネスグランプリおよび共感大賞を受賞されたということですが、今はどのようなお気持ちですか。

がんになると、自分のダメなところや本当に欲しいものが浮き彫りになります。乳がんを経験した私の、今手元に残ったこのお仕事が私に本当に必要だったものであり、やるべきことだと感じています。だからこそ、「がん患者」としてではなく、一人の仕事する人間として客観的に評価されたことをとても嬉しく感じています。

― お仕事を通じて「塩崎さんらしさ」をもう一度手に入れたのですね。今はどのような日々をお過ごしでしょうか。

本当は治療中よりも治療後の方がつらいのです。がんを克服しても治療が終わっても「死の恐怖」がつきまといます。今でも毎日、目が覚める度、いいことがある度にそう思います。そんなときは、支えてくれる周りの方々の笑顔や、治療中によく聞いたスティーブ・ジョブズのスピーチから『毎日を人生最後のように生きる』という言葉を思い出して乗り越えます。これが乳がんを経験した今の自分の最高の切り札だと思っています。

― 最後に、BreCare Gardenを見てくださっている方へ、メッセージをお願いできますか。

がん患者になると一人の女性やいち社会人ではなくなり、「がん患者」というみえない枠の中で生きがちになってしまいます。でも本当は一人ひとり違っていて当たり前のはずです。私は、勇気をもって乳がんという経験を受け入れたことで、病気になる前よりも「本当の自分らしさ」を手に入れたと感じています。このメッセージやTOKIMEKU JAPANのグッズが、がん患者さんが「その人らしく」美しく輝いて生きるきっかけになればと思っています。

― ご自身の乳がんの経験を勇気をもって受け入れ、患者さんのためになるようなお仕事を通じて、「自分らしく」輝いていらっしゃる塩崎さん。本日お話しをお伺いして、塩崎さんの力強く美しく生きるさまに、一人の女性として勇気づけられました。本当にありがとうございました。

(2016年9月取材)

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